東日本大震災 in 東京 記録

15時前ぐらい。 縦揺れの地震あり。一昨日ぐらいにも似たような地震があり、その際は直後に強い揺れがあったので一応待機。やはり揺れたので椅子から降りて床に座って待つ。…が、揺れが長い。だんだん強くなってきたので机の下にもぐったらさらに揺れが強くなる。机の上の本などがどんどん床に落ちて行くのを見て只事じゃないと判断。 
 揺れが一旦収まったので Yahoo!ニュースを確認。宮城で震度 7 の地震があったらしいことを確認。
15時過ぎぐらい。 会社のビルの防災センターから避難勧告が出る。 PC とコート、マフラーを持って階段へ。壁紙なのか壁なのかが崩れたらしく、階段のあちこちに粉が散乱していたり壁にヒビが入ったりしていた。
 ビルの前の駐車場に集合。直後に弟から電話がかかってくる。「福岡にいるんだけど土産は何がいい?」 アホか!と思いつつ東京の今を伝える。 なおその後は混雑したらしく電話もメールも一切通じなかった。
 またビルの前の歩道で液状化現象が起こっていた。コンクリートがヌルヌルにぬかるんで水がゴボゴボ流れている。大雨の際の土のようで、うっかり足を突っ込んだら沈みかけた。知識としては知っていたけど本当にこんなことになるとは。

16時半ぐらい。 やっとビルの安全が確認されたので戻る。発電機が止まってしまっているらしくエレベータは使えず階段を使用する。
 この地震の影響が気になるので、自席に戻ってシステムのアラートを確認したり、メッセンジャーで遠隔地のメンバーと連絡を取ったりする。…その後ろで後輩を見ると、コンビニで温めてもらったらしいパスタをもりもり食っていた。本人曰く「この後の食事は難しそうなので食っておこうかと…」とのこと。ふと周りを見ると、同じくコンビニおでんやサンドウィッチを食っているのがちらほら。嗚呼、生き残るのはこういうタイプか!と思った。
 もはや仕事どころではないので帰ることができる人から帰るように指示が出る。が、公共交通は全面断。タクシーやバスも渋滞で動かなくなることは眼に見えている。自宅までは徒歩帰宅可能圏=10km 以内ではあるが、それなりの距離。よってしばらく待機することに。
18時ぐらい。 まだ公共交通は回復しないが、地震酔いで気分が悪い。新鮮な空気を吸う目的半分、徒歩帰宅することにした。 折悪く春二番だか三番ぐらいの強い北風が吹いていて、これが寒い。手の先がかじかんでしまった。 途中でバスも通りかかったが満席、バス停に着いてもドアが開かない有様。待てば空き席のあるバスが来る保証もないので歩く。
 2時間弱の徒歩で到着…が、エレベータが止まっている。 だるくなった足で階段を昇る自信が無かったのでラーメン屋に。 同じ事情の人、これから歩く前に腹ごしらえする人でごった返していた。 ねぎ味噌でなんとか手先に感覚が戻ってきた。
21時ぐらい。 自宅へ。ガラスやテレビが割れているのを覚悟していたのだが、そこは無事だった。奇跡的に本が落ちた程度で済んだ模様。 ライフラインを確認したところ、電機・上下水道・ネットワークは問題なし。ただガスが駄目で、体は冷えているのだが風呂は我慢しなければいけないらしい。残念だが仕方がない。
 テレビをつけたら震源地に近い宮城や岩手の映像が流れる。あまりの光景に絶句。
24時ぐらい。 地震以後にできなかった仕事をしていたのだが、メッセンジャーの先の同僚からガスの復帰手順を教わる(pdf)。喜び勇んで外に出て対応、風呂を沸かす。 ふと見ると家の前の通りが大渋滞、車が彼方まで続いていた。改めて大変な事態と思った。
25時ぐらい。 余震が怖かったが寝る。

■というわけで生きてます。